大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和55年(行コ)79号 判決

控訴人 国

代理人 田代有嗣 一宮和夫 玉田真一

被控訴人 段良富こと廣田良富

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決三枚目表五行目に「中区区役所」とあるのを「中区役所」と、同七行目に「中郷村村長」とあるのを「中郷村長」とそれぞれ訂正する。)。

(控訴人の主張)

一  渉外認知の準拠法は、実質的要件については、法例第一八条が父に関しては認知当時の「父の本国法」により、子に関しては認知当時の「子の本国法」によるべきものとし、胎児認知の場合に子は懐胎中の胎児であり母と一体であるから「母の本国法」によるべきことになり、形式的要件すなわち方式については、法例第八条により「その行為の効力を定める法律」又は「行為地法」とされ、右にいう行為の効力を定める法律は法例一八条二項により「父の本国法」ということになる。ところで、中華民国民法第一〇六五条は婚生でない子を生父が養育したときはこれを認知したものとみなす旨を定め、認知の方式として「養育認知」を認めている。この養育の行為は、居食を共にする場合はもちろん、単に衣食学費を給するのもこれに該当するものとされ、さらに、妾が家長と永久の共同生活をする目的で一の家に同居するときは、受胎の間に妾が家長と関係存続中であるならば胎児は生父から養育されたと同じであるとして(中国司法院二一年六月七日院字七三五号)、「胎児養育認知」も認められている。本件の場合、被控訴人の父春源と母晴恵は、法律上の夫婦と考えて共同生活をし、被控訴人を懐胎出生し、かつ養育したのであつて、胎児認知についての子側の実質的要件としてわが民法上必要な母の承諾は黙示の承諾があつたものということができるし、仮にそのようにいえないとしても出生と同時に認知の実質的要件が充足されたことになるから、被控訴人は春源から胎児認知を受けたか、少なくとも出生と同時に認知を受けたものであり、いずれにしても、被控訴人は、出生時に外国人を父として出生し、生来日本国籍を取得しなかつたものである。

二  春源が被控訴人の出生直後に被控訴人を自己と晴恵との嫡出子とする出生届を中区役所に提出したことは、次のような事情からも明らかである。

1  被控訴人の出産当時、警察官署は宿泊届其ノ他ノ件(明治三二年七月八日内務省令第三二号)により外国人登録簿を備え置き、外国人在留管理のための基本台帳としていた。このため、外国人の子が出生した場合には、戸籍役場への出生届のほかに右省令による警察官署への届出が義務づけられ、しかも同省令及び明治三二年七月一三日内務省訓令第二五号により、いずれか一方への届出があると右官署間で相互に通知すべきものとされていたから、警察官署に届け出れば、警察官署から戸籍吏に通知され、戸籍吏が出生届を催足履行させたことは疑いのないところである。当時の社会情勢からすれば、春源がこれらの届出をいずれもしていないとはおよそ考えられない。

2  就学は寄留簿に基づいて行われていたが、寄留簿に記載のあることは出生届が提出されたことを前提とするものである。

3  被控訴人の出生当時、種痘の施行は極めて重大視され、種痘法(明治四二年法律第三五号)、種痘法施行規則(同年内務省令第二六号)、種痘法第八条ニ依ル符号記入方(同年司法省令第二二号)により、市町村長は毎年三月から六月までの間に「現住人」のうち前年中に出生した者に第一期種痘を施行すべきものとされ、それが洩れなく、かつ、有効に施行されることを期するため、施行対象者の戸籍簿に種痘の事実及び善感・不善感の結果を符号によつて記入することとされていた。右の「現住人」に在邦外国人の子が含まれることは、天然痘が伝染病であるということからの性質上、当然であり、外国人については外国人にとつての戸籍簿ともいえる寄留簿に同様の処理がされたものと考えられる。

4  被控訴人は、昭和二二年に外国人登録制度が施行されて以来、引き続き今日まで、外国人登録において春源の嫡出子として登録されてきた。

(被控訴人の主張)

一 春源が被控訴人を養育してきた事実は認める。しかし、法例第一八条第一項は、渉外認知の実質的要件についてだけでなく、形式的要件についてもその適用があるものと解すべきであり、父春源の本国法である中華民国民法が養育認知を認めていても、子の被控訴人の本国法である民法はこれを認めず届出主義をとつているから、養育認知の要件を充たしていても届出のない以上、認知の効力を生じない(最高裁第三小法廷昭和四四年一〇月二一日判決・民集二三巻一〇号一八三四頁)。仮に、形式的要件については法例第八条を適用すべきであるとしても、わが民法が認知に厳格な方式を要求していること、養育の要件があいまいであること、旧国籍法第二三条により国籍喪失の原因とされている認知を要件のあいまいな養育認知にかからせることは国籍の安定を著しく害すことなどからみて、養育認知に関する中華民国民法の規定を適用することは、わが国法上たえがたい不合理をもたらすものであり、法例第三〇条によりその適用を排除すべきである。

二 寄留法は、法定の届出を怠つても、現行の外国人登録法が懲役・禁錮刑をもつて臨んでいるのと異なり、過料の制裁を課していたにすぎず、また、外国人登録簿制度を定めた宿泊届其ノ他ノ件は、本籍を離れ旅店等に宿泊する日本人と一括して定められたものであり、現実の居住把握を目的とするものであつて、完全に遵守励行されていたわけではなく、寄留法による外国人管理はきわめて不十分なものであつた。しかも、寄留届に先行して出生届をしなければならないという法律上の規定はなく、仮に寄留簿に記載があつても、出生届があつたということにはならない。種痘行政も外国人についてはどのような方法で行われていたか明らかでなく、任意にかかりつけの医師から種痘を受けていたことも考えられる。外国人登録制度の施行にあたつては、申請事項について実質審査をすべきものとされていたが(昭和二二年内務省令第二八号外国人登録令施行規則第三条)、制度施行時の混乱ぶりからみて、被控訴人の身分関係が寄留簿の記載に基づいて認定されたものとは到底いえない。

(証拠関係)<略>

理由

一  被控訴人が昭和一三年一二月一八日神奈川県横浜市中区山下町一三六番地において春源と晴恵との子として出生したこと、春源が中華民国国籍を有する者であつたこと、晴恵が出生により日本国籍を取得したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  被控訴人は、晴恵は被控訴人出生当時も日本国籍を有しており、被控訴人は旧国籍法第三条により日本国籍を取得したと主張するのに対し、控訴人は、まず、晴恵は昭和一一年四月六日ころ春源と婚姻してそのころ中区役所に婚姻届を提出し、右婚姻によつて中華民国国籍を取得する(中華民国国籍法第二条第一号)とともに日本国籍を喪失した(旧国籍法第一八条)ので、被控訴人は出生により日本国籍を取得したものではないと主張するのであるが、当裁判所は、晴恵と春源との間に婚姻が成立したものと認めることはできず、控訴人の右主張は理由がないものと判断する。その理由は、原判決一〇枚目表四行目冒頭の「証人」を「方式及び趣旨により真正に成立した公文書と推認しうる乙第一八号証、原審証人鈴木武の証言によると」と、同裏一行目の「旨証言している」を「ことが認められる」と、同一三枚目表三行目の「前記」を「原審及び当審」とそれぞれ改めるほか、原判決九枚目表七行目から一四枚目表三行目までの理由説示と同一であるから、これを引用する。

三  控訴人は、次に、認知の方式については法例第八条、第一八条第二項により父の本国法が適用されるところ、中華民国民法は養育認知(胎児養育認知を含む。)を認めており、被控訴人は春源から胎児認知を受けたか又は出生と同時に認知を受けたから、出生時に外国人を父として出生したことになり、日本国籍を取得しないと主張するので、この点について判断をする。

1  法例第一八条第一項は、非嫡出子の認知の要件の準拠法について、父に関しては認知の当時父の属する国の法律により、子に関しては認知の当時子の属する国の法律によるべきものと定めており、認知が有効に成立するためには、父の本国法における認知の要件を具備するとともに、子の本国法における認知の要件を具備しなければならず、そのいずれかを欠くときには認知は有効に成立しないものというべきである。胎児認知の場合には、被認知者である胎児には国籍も本国法もないのであるが、出生後に取得すべき本国法によるのでは準拠法が出生まで定まらないという不都合を生じうるので、母の本国法をもつて胎児の本国法とみなすのが相当であると解され、認知が有効に成立するためには、父の本国法における認知の要件を具備するとともに、母の本国法における認知の要件を具備しなければならないことになる。

2  <証拠略>によると、被控訴人の血統上の父春源の本国法である中華民国民法第一〇六五条は、婚生でない子であつて、その生父が認知したものはこれを婚生の子とみなす旨を定めるとともに、婚生でない子を生父が養育したときは、これを認知したものとみなす旨を定めていることが認められる。したがつて、仮に、右規定が控訴人主張のような要件のもとに胎児養育認知をも認める趣旨のものであり、本件の場合に胎児養育認知の要件を具備し又は出生とともに養育認知の要件を具備しているものとすれば、中華民国法上は認知が有効に成立したことになるのであるが、被控訴人の母の本国法であるわが民法上は、血統上の父が非嫡出子を養育した事実があるというだけで当然に認知の効力を発生させる旨の規定はなく、もとより胎児養育認知を認める規定もないから、被控訴人に関しては、その余の要件について論ずるまでもなく、胎児認知の要件を具備したものとはいえず、、被控訴人は旧国籍法第三条により生来的に日本国籍を取得したことになり、その本国法は養育認知を認めない日本法であるから、被控訴人に関しては出生と同時に認知の要件を具備したということもできないのであつて、被控訴人の出生時に春源と被控訴人との間に法律上の父子関係があつたものとすることとはできない。

3  控訴人は、認知が届出(身分登記)によるか養育の事実によるかは認知の方式の問題であり、法例第八条第一項、第一八条第二項により、父春源の本国法上の要件を具備するだけで認知は有効に成立する旨主張するけれども、わが民法が、非嫡出子の親子関係の創設については、これを対外的にも明確ならしめようとして、厳格な方式(旧第八二九条、現行第八二九条)を要求していることにかんがみ、また、法例第一八条の規定が非、嫡出子の親子関係について父又は母の本国法が血統主義をとる場合にも適用されることにも思いを致すと、養育というような流動的で外形上必ずしも明確とはいいがたい事実関係をもつて認知の単なる方式の問題にすぎないとするのは相当でなく、養育認知における養育の事実は、その性格上、認知の一種の実質的要件をもつて目すべきものと解するのが相当であつて、控訴人の右主張は採用することができない。

四  叙上の説示によると、被控訴人の出生当時、春源と晴恵とは法律上は婚姻関係になく、春源は被控訴人の血統上の父であつても被控訴人との間に法律上の父子関係はないのであつて、被控訴人は旧国籍法第三条により日本国籍を取得したものというべきである。

ところで、旧国籍法第二三条は、日本人たる子が認知によつて外国の国籍を取得したときは、日本人の妻、入夫又は養子となつた者でない限り、当然に日本の国籍を失うものとし、<証拠略>によると、中華民国国籍法第二条第二号は、父が中国人であつて、その父が認知した者は、中華民国の国籍を取得する旨を定めていることが認められるから、昭和二五年七月一日施行された現行国籍法による旧国籍法廃止前に被控訴人が春源から有効に認知を受けたとすれば、被控訴人は当然に日本国籍を失うことになる。そこで、控訴人は、春源が、被控訴人を嫡出子であるとして中区役所に出生届をし、中国官憲に対し被控訴人が自己の子である旨の意思表示をしたことにより認知の効力を生じたと主張するのであるが、当裁判所は、控訴人の右主張事実を認めることはできず、右主張は失当であると判断するものであつて、その理由は、次のとおり付加訂正するほか、原判決理由説示中一四枚目表一〇行目から一八枚目表一〇行目までと同一であるから、これを引用する。

1  原判決一四枚目表一〇行目の「(一)」の次に一字あけて「認知の方式の準拠法は、法例第八条、第一八条第二項により、認知者である父の本国法によるべきであるが、行為地法によつた方式もまた有効であるところ、」を付加し、同末行の「証人」を「前示のとおり」と改め、同裏一行目の「前項記載のとおり」を削り、同三行目の「と証言している」を「ことが認められる」と改める。

2  同一五枚目表四行目に「定め」とある次に「、さらに、宿泊届其ノ他ノ件(明治三二年内務省令第三二号)は、在留外国人に自己及び家族の国籍、職業、年令、居住所等及びその変更を警察署に届け出でることを義務づけ(第三条ないし第五条)、警察官署は外国人登録簿を備え置いて右届出事項を登録すべきものとされ(第七条)、外国人について身分登記をした戸籍吏及び右の登録をした警察官署は相互に当該事項を通知すべきものとされ」を、同じ行の「ていた」の次に「(同令第六条、明治三二年内務省訓令第二五号)」をそれぞれ付加する。

3  同一五枚目表八行目の「前項に述べた」を「前示の」と改め、同末行の「いるし、」の次に「晴恵が同様に春源に提出をまかせたという」を付加し、同裏一行目の「前項において」を「さきに」と、次の行の「あるから、この」を「あつて、これらの」と改める。

4  同一五枚目裏七行目の「寄留法」の次に「、宿泊届其ノ他ノ件」を加え、同八行目の「寄留簿への記載」を「一定の事項の届出」と改め、同じ行の「義務づけ」の次に「、職権による寄留簿の記載、戸籍吏と警察官署との相互通知も行われることになつ」を付加し、同一〇行目の「ないのであるから」を「ないうえ、控訴人が主張する種痘及び就学との関係の点についても、<証拠略>によれば、被控訴人は、晴恵がもと看護婦として勤めていたことのある医師に依頼して種痘を受け、学校も小学校から高等学校に至るまで中華学校に通い、晴恵は被控訴人の種痘、就学について所轄官署から通知を受けた記憶がないことが認められるのであつて」と改める。

5  同一六枚目裏二行目から七行目までを削除し、同末行の「認められる。」の次に「もつとも、前示のとおり中華民国民法は養育による認知をも認め、春源が被控訴人を養育したことは当事者間に争いのないところであるが、養育認知における養育の事実は、認知の方式ではなく、実質的要件と目すべきものであることは、さきに説示したとおりであり、」を付加する。

五  以上によれば、被控訴人が日本国籍を有することの確認を求める被控訴人の本訴請求は理由があり、これを認容した原判決は相当であるから、本件控訴を失当として棄却することとし、控訴費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小林信次 平田浩 河本誠之)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例